前回の記事では、
先生と師匠の違いについて書かせていただきました。
先生は技術を教えてくれますが、
師匠は心を教えてくださります。
技術は分野ごとに全く異なるので、
先生は何人いてもいいですが、
心は1つなので、
師匠はたった1人いれば十分です。
トレードも然り、
稼ぐためには「勉強」という努力が必須になりますが、
今日は「学ぶ理由」について書きたいと思います。
マラソンにしても、
100m走にしても、
ボクシングにしても、
フィギュアスケートにしても・・・・・
現代のスポーツ界は、
いかに優秀なコーチについてもらうかという、
いわばコーチの争奪戦になっています。
優秀なコーチについてもらうことができれば、
ある意味でその時点で「勝ち確」です。
世界トップのアスリートらは、
口を揃えてこう断言しています。
「これは個人競技ではない。チーム戦だ。」 と。
たしかに、
そのフィールドに立っている選手は、
1人で勝負に臨んでいるとはいえ、
コーチ、メンタルトレーナー、理学療法士、栄養士、
そして家族という多数の支えの上に成り立っています。
選手はその代表に過ぎず、
これは完全なるチーム戦です。
野球やサッカーのように、
競技そのものがチーム戦になっているものは分かり易いですが、
真実として、
個人競技こそ、チーム力が問われます。
最終的に勝敗を隔てるのは、
技術の差ではなく、メンタルの差だからです。
個人競技はチーム競技に比べ、
選手1人に押しかかる心理的重圧が尋常ではありません。
心は身体に宿るので、
屈強なメンタルは、屈強な肉体にこそ宿りますが、
選手の健康状態を生み出すのは、
栄養士であり、理学療法士であり、
心と対話させてくれるのはメンタルトレーナーであり、
そこに技術としての自信を与えてくれるのはコーチです。
いかに屈強なメンタルを育めるか。
個人競技はいま、そういうったチーム戦になっています。
超一流の選手には、
超一流のコーチがついています。
そして、超一流のメンタルトレーナーがついています。
日本に比べて、
圧倒的に海外のほうがメンタルトレーナーに重きを置いています。
3流の選手には、
3流のコーチがついています。
そして、
メンタルトレーナーはいません。
メンタルではなく、
技術の勝負だと勘違いしているからです。
実際は、
極限状態での勝負において、
技術の差はありません。
メンタルの差が、明暗を隔てます。
相場も全く同様に、
技術ではなく、メンタルです。
スポーツも、
仕事も、
トレードも、
人生も、
全て同じです。
勝つ上で大切なことは、
いかに素晴らしいコーチに巡り合えるかどうかです。
そして、
素晴らしい選手ほど、
勝利後の会見で真っ先に「感謝」を伝えます。
個人1人の力ではなく、
チームで勝ち取った勝利であることを理解しているからです。
感謝のない選手は、
瞬く間に衰退していきます。
稼げるノウハウ、
稼げるハウツー、
稼げるテクニックばかりを追い求めている人は、
いつまで経っても稼げるようにはなりません。
稼げる資格は、稼げない資格です。
そういう人ほど、
「いいコーチを見つけるにはどうすればいいですか」
と嘆いています。
「見つけ方」のノウハウを見つけようとしているのです。
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コーチは、探して見つかるものではありません。
コーチを見つけるには、勉強することです。
それだけが、唯一の方法です。
いいコーチは、
見つけるものではなく、巡り合うものです。
自身の勉強量に応じて、
出会えるコーチのランクが決まります。
人は、よき師と巡り合うために、学びます。
現代は、
低所得層ほど効率を重視しています。
手っ取り早く稼ぐために、
「稼げる資格」を勉強する人は稼げません。
そういう人は、
「学ぶ」ことを省いて、
いちはやくコーチを見つけようとします。
勉強せずにコーチを探す人は、
有名なコーチに流れるか、
人からの紹介に流されるかです。
勉強していないと、そうなります。
何が正しいのか、分からないからです。
勉強は、自分だけの判断基準を持つということです。
トレードも全く同じです。
仕掛けから利確、損切りに至るまで、判断の連続です。
効率を求めている低所得層は、
手っ取り早く思い通りの成果が得られなければ、
すぐにコーチを変えて、
同じステージを延々と彷徨っています。
変えていいのは、先生だけです。
師は、コロコロと変えるものではありません。
この人と決めたら、死ぬまで付いていきます。
師をコロコロと変える人は、
早く結果を出せるコーチを求めています。
そういう人は、
「早く結果を出せるノウハウ」に走ります。
最短コースを求めて、
結局は何の成果も出せないままに終わります。
低所得層は、
有名な2流のセミナーに通いますが、
有名なコーチは、2流です。
有名なコーチは、売り込みが1流なだけです。
1流のコーチは、売り込みをしません。
超1流のコーチは、全く表に出てきません。
2流のコーチは優しいので、
「教えてあげます」と言ってくれます。
優秀なコーチは決して、
自ら「教えてあげます」とは言ってくれません。
究極的には、何も教えてくれません。
門前払いです。
教わる準備ができていない人間に、
師が教えることは何もないからです。
勉強は、
師に認めてもらうための準備です。
「いい先生を知っていたら紹介してください」
という人は、永遠に師とは巡り合えません。
何人もの先生とつながって終わりです。
どれぐらい勉強してきているか、
どれだけ準備できているのかは、
師には一瞬で全てが見透かされています。
勉強を怠る人間は、
何でもお金で解決しようとします。
お金さえ払えば、
誰でも先生を雇うことはできます。
しかしそれは、
お金で雇った先生に過ぎません。
巡り合った先生ではなく、
金で雇った先生です。
先生と生徒は、お金でつながります。
それだけの関係性に過ぎません。
師匠と弟子は、お金でつながるものではありません。
これが先生と師匠の違いです。
低所得層ほど、
人によって態度を変えます。
お店の人に傲慢な態度をとっている人は、
「自分はお客様だ」という感覚です。
中途半端な小金持ちほど、この傾向があります。
お金を持っている人間が偉いと勘違いしている人種です。
そういう人種が習い事を始めると、
自分は「生徒です」をアピールします。
先生に対して、
「自分はお客様ですよ」と言いたいのです。
先生をお金で買っていると、そうなります。
そういう生徒は、
「結果が出ない」
「待遇が悪い」などと文句を言って、
また別の先生を探します。
師匠と弟子の関係に、文句は有り得ません。
ましてや、普通の発言すら有り得ません。
ベラベラと話しているのは、2流です。
本物の師匠ほど、口数は減っていきます。
一瞬の一言を聞き逃さないために、
弟子は聞くことに必死です。
話す余裕などありません。
発言すること自体、言語道断です。
2流、3流、4流のスクールでは、
生徒が先生の文句を言っています。
文句を言うのなら、習わなければいいのです。
先生を変えては不平不満を並べることの繰り返しです。
お客様感覚の人は、そうなります。
「お金を払っているのに」と不満を漏らすのは、
典型的な「稼げない人」の勉強法です。
教室をお店と勘違いしているのです。
物事には常に、
教える側と、習う側があります。
誰に教わるかを選ぶのは、習う側です。
全て、習う側の自由です。
何を学べるかは全て、
習う側の意識によって決まります。
お客様として習いにいくのか、
弟子として習いにいくのかです。
低所得層は、無勉強です。
高所得層ほど、勉強しています。
全ては、
よき師に巡り合うための学びです。
そのための、準備です。
今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。
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